新米ママと、ときどきオトン。

未年うまれのむすめを育てる新米ママと、その夫がときどき登場する子育てブログです。

少子化とは思えない!参加できなかった祖父の100歳のお祝いの会に想いを馳せる

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こんばんは、新米ママのtononecoです。すこし育児ネタからはズレますが、先日開かれわたしの祖父の100歳のお祝いのことについてです。遠方の親戚も広く集め先週末に開催されたのですが、わたしたちはちょうど保育園の入園説明会と重なってしまい出席できませんでした。けれど両親の話ではだいぶ楽しげな宴が催されたようで、やっぱり行きたかったなあという想いと、理想の晩年の光景とはこういうものなのでは…という想像が広がり、行っていないイベントについて記事にしてみようと無茶なことを思い立った次第です。

祖父のことと、亡くなった祖母のこと

フライングで開催された100歳のお祝い

はじめに申しますと、祖父はまだ100歳を迎えていません。今年の9月に齢98を迎えるので、数えでは99歳ということになり、長女である叔母が発起人となり「もうそろそろやっちゃおっか」的に開催されたお祝いでした。
というのにもいろいろと経緯があり、数年前から「俺の100歳のお祝いたのしみ…( ´_ゝ`)by祖父」という発言が方々で確認されるほどに本人がお祝いの開催を楽しみにしていること、それから昨年あたりから度々体調を崩しており、もしかしたら100歳を待っていたら結局開催できないかもしれない…という悲しい懸念から、フライングではありますが先日お祝いの会が催されたのでした。
祖父はその年齢にしてはとても頭がはっきりしています。体力こそ年々衰えるものの、日常生活に問題はなく介護施設にお世話になるまでもなく自宅で過ごしています。
とは言え、一度体調を崩すとかなり大変なのでその世話をする負担の大きさだったり、その年齢にして頭の冴えすぎている老人との日常の諍いなど、同居しているわたしの父母の苦労もまた大きなものなのですが、その話は今回は割愛します。

祖母は3年ほど前に他界

祖父よりも8つほど歳下だった祖母ですが、70代半ばの頃に病気で脳にダメージを負い、それ以来要介護、10年以上母が自宅で介護していましたが最後の3年間は施設でお世話になっていました。
病気をして以来身体も不自由になり認知症の症状も年々酷くなっていましたが、そんな祖母を祖父はとても愛していました。まわりが見てわかるほどに。老体で誰よりも献身的に介護をしていましたし、施設に入ってからも足繁く面会に行っていました。なので祖母が亡くなった時、祖父はとても落胆していました。そしてそれに加え、気付けば祖父の兄弟や近所の同年代の方々はほとんどが亡くなっているような状況なのでした。

長生きすることは決して幸せなことばかりではない

幸い健康で日常生活に支障がない程度に頭もはっきりしている祖父ですが、ともに生きてきた周りの人々がどんどんと先に旅立っていってしまう寂しさはどれほどのものでしょうか。わたしはここ数年、祖母が亡くなってからは特に祖父が不憫に思えていました。
なので祖母がいなくなってから半年ほどしてむすめがうまれた時、なるべく隙があれば実家に帰り、より多くの時間祖父にこの子と触れ合ってほしいと強く思いました。そして実際そのようにしています。そうすることで決して祖父の寂しさは埋まるものではないかもしれないけれど、そうしたいしそうするべきとわたしは思っています。
実際祖父は、実に9番目のひ孫(!)にあたるむすめを見せに行くととても嬉しそうにしていますし、可愛がってくれます。そしてその姿を見ることが、わたしにとってもとてつもない幸せでもあります。

100歳のお祝いの光景

前置きが長くなりすぎましたが、当日の様子を。わたしたちは出席できなかったので、両親から話を聞いたのみなのですが、親戚がたくさん集まり小さな子どもたちも多くいて、いささか賑やか過ぎるくらいの席になったということでした。

少子化とは思えない

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ありがたいことに、わが家を含めわたしの父方の親戚内ではここ数年ベビーブームが続いています。わたしや従兄弟たちに次々子どもがうまれ、2年ほど前の祖母の法事では、お坊さんに「少子化とは思えない景色ですね」とおそらく賞賛の言葉をいただきました。
今回のお祝いの席には、5歳くらいから小さな子は生後3ヶ月ほどの赤ちゃんまでちびっ子たちが7人ほど、それからもう少し大きい小中学生の子たちも数人。
どこかのホテルの宴会場を借りたのだそうですが、親戚全体の人数も多く、そこで巻き起こるちびっ子たちオリジナル運動会やカラオケマイクの奪い合いが凄かったりなど、だいぶ賑やかな宴となったそうです。テレビ電話の向こう側で、その様子を語る父は目を細めていました。

その光景が祖父にとって幸せなものであってほしい

それを聞いたわたしは、それはさぞかし祖父も楽しかったに違いないと思いました。
戦争を生き抜いた祖父は、子どもを女3人・男1人もうけ育て、そのまた子どもたちも各々に家族を持ち、そこに新しい生命が次々誕生している。そして100歳が近くなった今、その親族たちが自分のもとに一堂に会する場が開かれ、そこにはたくさんの子どもたちがいる。そんな光景を目の前にすることはきっと幸せなことなのでは、とわたしは想像し嬉しくなりました。同時に、悲観していた祖父の境遇に希望を持ったのです。

すべてはエゴかもしれませんが

最後に断っておくと、わたしは祖父から「長生きして寂しい」という話を聞いたわけではなく、実際本人がどう感じているかはわかりません。100歳のお祝いに関しても祖父からその日の感想は聞いてはおらず、「楽しかったにちがいない」というわたしの想像です。ですので、今日書いたことはすべてわたしのエゴと言ってしまえばそうなのかもしれません。
けれどここ数年もやもやしていた、取り残されるように長生きしている祖父の生きる意味のようなものを、すこし肯定的に捉えることのできた出来事でした。
出席もできなかったお祝い事に、妄想力を発揮して想いを馳せたわけですが、つまるところわたしは、祖父に長生きして幸せである、と感じていてほしいのです。
そしてもっと欲を言えば、わたしのこのこねくり回した考えを、すべてを悟ったおおらかさでもって「余計なお世話だ!」と祖父に笑い飛ばしてもらえれば一番いいと思っています。
最後までエゴといえばそうでしかないような駄文ですが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました◎